14日ちゃん

14日生まれアラサーのブログ

思想の自由ちゃんと匿名性

私は重度のツイッター廃人で、もう8年くらいツイッターをやっている。

ついでに2次創作同人をやっているオタクなのだけれども、

日常のことも、政治のことも、セックスのことも、同人活動のことも、仕事のことも、全部呟いてしまう。

私をリアルで知っている人にとっては匿名性もクソもあったもんではないし、割と職場も生活区域もバレてるし、(リテラシーがない…)
別段恥ずかしいことや間違っていることを言っているつもりはない(というか、間違っていることを言っている場合、優しく意見を仰ぎたい性質だ)ので、鍵を開けている。
年齢制限がかかるようなものは勿論避けているが、中学生レベルの下ネタは連発する。

だが、かといってリアルで私を知っている(だがお付き合いの深くない)人にツイッターアカウントを見られて大丈夫かと言われると、全然大丈夫じゃない・・・・・・・。。

 

もはや私とそっくりな生活を送っている、HNちゃんという別人格なのである。

自分のツイートみて、わかる~!私もそうだわ、と思うのだ。

ツイッターには全部書いてしまっているので、リアルな私の人格を紐づけされることに抵抗感がある。絵を描くタイプのオタクなのだが、自分の一番根っ子の柔らかいところを、リアルのお付き合いがある程度の人に触られたくないのだ。

これが親友レベルで付き合いが長いと別に抵抗はない。しかし家族には抵抗がある。(私は家族とそんなに仲が良くない)

同人誌に値段つけて顔晒して売ってるくせに何言ってんだ?と家族には言われるのだが、まったくもってその通りなのだが、なんかむりなのだ。

じゃあ必死こいて隠れろよ、というわけでもない。だって(2次創作同人は権利者との兼ね合いもあるしグレーなのだが)自分の活動や思想が間違っているとは思っていないし、対人で口にすると色々面倒くさい諸問題への疑問を、投げかけてみるだけならタダだからだ。
ぶっちゃけて言えばセックスの話がしたい。これは恥ずかしい話だが、悪い話じゃない。固い人間に囲まれて育ったので、誰にも聞くことが出来ずに解決しなかった疑問をインターネットが解決してくれている。

政治の話がしたい。会社でやるとしがらみがあるし、家庭内では偏りがある。偏りのまま投票に行くのは怖い。最後に決めるのは自分だし、ツイッターだってTLを自分で選んでるのだから偏っているに決まっているが、それでも見たこともないような色んな人がいるというのは面白い。

マイノリティの人たちが、実生活と切り離されているからこそあげられた声が見てみたい。

私も彼らも、別人格、という言い訳を盾に自由を得ているといってもいい。

 

しかし匿名で他人を傷つけるとか、お前実生活だったら絶対やらないだろ、というような態度に出るのは違うと思っている。

描き手をやっていると、感想が欲しくなったりもする。なので、気軽に送れるメールフォームを用意していたりもするのだが、私生活に対する誹りだの、人格攻撃だのを受けたりもする、稀にだが。それに、ツイッター上での人間関係が、現実ではありえないぐらいに拗れて傷つけあって終わったりもする。

誰しも自分の中に、社会に出してはいけない悪魔みたいなものがいるんじゃないかと思う。匿名にした途端それを露骨に出してくる人もいる。自身はそうありたくない。

 

さてはてここでどのくらいの自由を獲得できるのか、ちょっとやってみたいなぁと思う。

 

 

 

 

秩序をぶち壊す荒野のおじさん

秩序をぶち壊す荒野のおじさん

とめどない宗教のはなし。知識量の偏りのためキリスト教の話ばかり

 

宗教に興味がある。

別に仏教でも、キリスト教でも、ユダヤでもイスラムでも神道でもヒンズーでもいいのだが、何か強大で得体の知れないものに、大きな集団を向かわせるというエネルギーにすっごく興味がある。
それは人間だけがやることだからだ。文化というやつ。
そして特定の宗教に所属していない私には、集団を見返りもなく敬虔な気持ちにさせて一つの目標へ向かわせるっていうエネルギーめっちゃすごい、と思う。
古い宗教施設の美術は本当にすごい。勿論お金もかかっているけども、私のよな信仰心の無い人間としては、そういう無形の見返り(天国に行けるとか、地獄に落ちないとか、転生できるとか)の為に力を尽くせるというのが、とてもすごいと思う。そういう境地に、死ぬ間際でいいから行ってみたいと思う。

イスラムは砂漠の宗教、というのを否定するような本を借りてチラっと読んだ(読み終えてない)コレ⇒【中東の歴史
本の中での結論まで全然たどり着いてないのだが、冒頭で「人のいないところに宗教なんて発生しない、まぎれもなく都市の宗教だ」って書いてあって、なるほどな~、だ。
旧約聖書ではモーセが神様から頂いた10個の契約を基に、仲間たちを導く。これが真実神からの啓示かということを信じるかどうかは置いておいて、集団生活をするための規範だったんだろうな~~。



私は新約聖書を週一回ずつ断片的に読まされて育ったので(キリスト教徒ではない)新約聖書におけるパリサイ派の人々は、神の教えを歪め、利己的で嫉妬心に塗れ、暴力性を孕んだ悪役だと認識してたわけだけど、
当時一大勢力として敬虔に神の教えを守り、戒律によって社会秩序を維持してきたところに、荒野の浮浪者がぶち壊しにきたら、迫害もするよなぁって想えるようになった。

だってキリスト教がきちんとした秩序を確立するのはキリストが死んでからずっとずっと後のことだし、どっかから現れた髪の毛ぼさぼさのおじさんが、ン万人の飢えを満たしてやろう、ってどこかの丘に集まって、果たして彼の死後そいつらはどうなったのか?ちゃんと救われたのか??実際は同じく迫害を受けている。たぶん。
ただし、混乱を齎した男としてイエス・キリストが抹消されなかったのは、事実飢えや魂の負債を払われた層がかなりの人数いて、教義に説得力があり(というか、それ以前のユダヤ正教会の教えが時代の成熟と乖離しはじめてたんじゃないだろうか)そして私は全く信用できないんだが、多分奇跡と呼ばれるような超常現象が事実あって、
あとは…悲劇で人生の幕が下りたからだと思う。彼の人生にエンターテインメント性があったからだ。面白いからだ。

キリスト教を無垢に「奇跡の人とそれを信じた人々の倫理規定だ」、と思っていた私をひっくり返したのは ジーザス・クライスト・スーパースターという映画。ブロードウェイミュージカルが先だっけ?忘れたけど。
当時洋ロック(しかも懐メロ)に燃えていた私、ディスク版ではイアン・ギランがボーカルしてたとか聞いてたどり着いたんだった気がする…ミュージカルも好きだし。
その映画の中ではジーザス・クライストはどうしようもなく弱い人間として描かれていた。なんで私にお答えくださらないのですか、父よ。この布教の3年は30年かと思うほど長かった。あなたが応えないなら謹んで死を受け入れるけども、私の決心が揺らぐ前に早く毒杯を飲ませてくれ。私が小学生のときに聖書に見ていた聖人はいなかった。なんかちょっと超能力を持っちゃった(超能力については語られていなかったような気がする)、カリスマと、癇癪もちの人間だった。

ローマ法王に「処女のまま母親にさせられたマリアの気持ち考えたことある??」って質問をぶつけた日本の科学者(高名な方)が~~という話をどっかで見たんだけどお名前を忘れてしまって検索かけられないので、教えて頂けたら嬉しいです。
ゼウスはしょっちゅう美女に種付けしてるが、イスラエルの神もマリアに種付けしているという。クソ下種な言い方だが、神的な存在によって処女のまま懐胎したんですって言われていったい誰が信じるというんだ。イエスが迫害されるウィークポイントもここにあるんだよなぁ。
仏陀が脇から生まれて天上天下唯我独尊!って叫ぶ方がだいぶファンタジーで滑稽なのに、聖母マリア処女懐胎って妙に生しくない?だからイエス・キリストって多分伝説じゃないんだよなぁって思うわけだが…。実在したんだろう。

とめどなく話したけれど

イエス・キリストは神の実子ではなく
聖母マリアは処女ではなく
・当時の人々にとっては狂言吐きであり厄介な存在で
・時代の必然として死んだ
と思ってるのだが、こんな俗っぽい解釈は恐らく、
宗教の中の超常現象を根拠に、誠実に信仰している人にとって、こうして揶揄することは我慢ならないかもしれない。
喧嘩を売るつもりではないのだが、殺されるかもしれない…。
私個人としては、神秘が科学で分解されたところで、その教義の有用性とか、産んできた文化が揺らぐもんではないと思っている。というか、神秘が分析されて明らかになるほど、神秘性が増すと思っている。

・にもかかわらず、人の心をひきつけ、その後の時代を大きく変え、大きな倫理感を築いた
ってところがすごいのだ。


私は教徒じゃないが、隣人を愛しなさいって黄金律、すきだ。
こういうことだったんじゃないかと妄想する。
イエス・キリストは大工の息子だった。ユダヤの律法者たちが厳しい戒律に生きている間、平民である大工の生活と、律法は乖離してたんじゃないのかと思う。隣の人とは仲良くしなくちゃ上手くやってけないし。
だから、イエス・キリストが突然現れてそれまでのイスラエルの律法という秩序をぶち壊しつつ、熱心な弟子が付き、やがて受け入れられていったのは時代に即してたからだろう。


ある兵隊さんが俺の従卒が病気してるので治してくださいという。俺も従卒もイエス様より下位の存在なので、俺が従卒に指示したら彼らが当然行動するように、あなたが治れと命じたら従卒は治るんです。っていう。
ここでは上下関係が非難されたりはしない。社会機能として当然のものだとキリストだって認識している。
時代性だ。



なお私はこれらを調べてかいているわけではないので、参考になりそうな本があったら教えてください。



1995年、阪神淡路大震災や、地下鉄サリン事件があった。私が生まれて割とすぐの話だ。
宗教に所属している、と聞くと、胡散臭い、という気持ちが先に立つ。が、それは95年以降の感覚なんだよ、と20個くらい上の先輩に教えてもらったとき、目からうろこで、生きてきた時代でこんなに感覚が違うのかと思った。
彼女に「それ以前は宗教について語る人とかちょっと真面目なんだな~くらいの感覚だったよ」と言われたのがこの2年くらいで最大の衝撃だったかもしれない。
私がミッション校出身にも関らず、毎年毎年キリストの生誕を祝う聖歌を原語で歌えるように聖歌隊で練習してたにも関らず、どこか宗教に与してはいけない、と時代の空気みたいなものを感じて心に張っていた予防線、アレ、95年以降の話だったのか。と。確かに、世界中では所属する宗教を持たない方が、異常だ。不安定だ。よりどころだもの。

私は自分が所属する宗教を持たない。たぶんお寺さんで葬式してもらうし、祖父母は本願寺?に入ってるから、そのお墓に入るんだろうけど。兄の結婚は神前式で、私は結婚は教会がいいな~~~憧れる~~~と思っている。

私の知り合いのかしこいひとが、「民主主義という宗教」ということを言っていた。
民主主義は神的なものではないので、当たらないのかもしれないが、人間の力だったはずのものが、時代のうねりになって、止めようもなくなっていく工程って最早神秘なんじゃなかろうか。
民主主義に民衆が真剣に参画しなくなって、理想ばかりが叫ばれて、人間の力でコントロール不能な幻想に近づいていってしまうと、目に見えない神様になっちまうんじゃないか。
私は最早民主主義(…ここが資本主義だろうがなんだろうがよいのだが、)というものが何たるかもわからず、ただ私はきちんと選挙にいって民主主義国家の一員の役目をはたしている、っていう帰属意識に安心して生きている。
たしかにこれ、宗教っぽい。

++

全然違う話だが、私にとっての、ああ時代が変わったなって思う大事件は9.11、秋葉原ホコ天にトラックが突っ込んだあのおぞましい事件、3.11だ。
リーマン・ショックとかも大きいのだろうが、当時我が家は全員無職で、ある意味被害を受けなかったのか、隠されていなかったのか、わからないが大きな変化を感じなかった。文化面だとLady Gagaと、オバマの2期目の就任演説。私がLGBTの権利問題に興味があるっていうだけなんだけど。この話もまたしよう。